「思いやり」ダライ・ラマの「ハートフルメッセージ」より

dokusho6

臼井先生が定めた五戒にもあるように、レイキにおいて心のありようはとても大切です。

レイキは心の技といっても過言ではないくらいです。

はじめは、リラックスしてぼうっとしていればいいから・・・。
だれでもできるから安心して・・・。

というところからレイキは入りますが、日々レイキに親しんでいくと、それはほんの触りでしかなかったことに気がつきます。

リラックスするという真の意味は、心にとらわれがなく、自分も含めて(ココ、重要です!)なにごともあるがままに受け入れ、淡々としていることです。

別の言い方をすれば、大らかで細かいことを気にしない心のありようともいえます。

もっと言えば、何事もありのままに観て、感じて、流していくことができる大河のような心ともいえるでしょう。

ありのままに観る、という視点を生きるには、そうしようと思えば思うほど、慈愛と謙虚さ、そして、そうありたいと願う確固たる信念が必要なことに気が付きます。逆に言えば、愛についての理解が深まるほどに、ありのままに観る、ことが上手になっていくのだとも言えますね。

そうした心のありようは、一朝一夕で会得できるものではなく、個々に与えられた人生をかけて育んでいくものです。

本を読んだから、ワークショップを受けたから・・・といって、すぐに身につく類のものではない、というのがわたしの実感です。そうして得た刺激や気づきをその時だけのものに終わらせず、現実の生活で実践していくことこそ、遠いようでいて実は一番の近道です。

それは、自分や他者、社会との関係性の中でさまざまな体験を通じて、より良き自分のありように気が付き、創造していく道といってもいいでしょう。

幸運にも、わたしはレイキをお伝えするという仕事を選んだことで、「レイキとは、いったい何だろう?」「どのように表現したら一番わかりやすく効果があるだろう?」という問いを持ち続けることになりました。

おかげで、こんなにも自身のありように向きあうことができるようになったのだろうと思います。自分自身の在りようが存在としての質(エネルギー)を決める、と悟ってからは覚悟が決まりました。

というとまじめくさっておもしろくない、と誤解されるかもしれませんね。

いえいえ、心配ご無用^^。

実際には、気づきや発見、チャレンジに満ちたとてもおもしろい道です。

ありのままに観る、という心の技を磨くことで、いまだかつてない境地を体験していくのですから、自分の中に前例もありませんし、答えはひとつではありません。

実践してみて、現実でそれを確認し、ゆたかさと心地よさが増幅されるかどうか、自分自身で見極めていきます。

子供のころはあんなに理科の実験が嫌いだったのに、毎度毎度実験のようだなとワクワクしていますよ、笑!

わたしがレイキを始めた動機は、自分自身の喜びの為でした。

ことばではなく、愛ともいえるレイキのエネルギーをダイレクトにお伝えできるなんて、なんてすばらしいんだろう!!!わたしは、これがしたい。ただ、それだけでした。

人のために役に立ちたいとか、病気を治してあげたい、とか、そういう思いやりの気持ちはこれっぽちもなかったのです!

「レイキをしたらどうなるんだろう?」という子供のような好奇心だけで長年レイキを続けてきました。それは、いまでもかわりません。それが、結果として、レイキのヒビキの世界にはまり込むことになったわけですが、笑!

ところが、近頃。真の思いやり、という視点が、そんな自分の中にも育まれつつあることに、大きな喜びを感じています。

そんな時、ふと、本棚にあるダライラマの本のことを思い出しました。

ダライ・ラマ ハートフル・メッセージ

 

まだ、わたしが、レイキを始める前だったか・・・。10年くらい前に、ダライラマにゆかりのある方に出会ったのを機にこの本を買い求めたのでした。

久しぶりに手にとってみると、その穏やかな語り口に心を打たれました。

それは、まるで、こんこんと沸き出ずる愛の泉のようにとめどなく、あきらめる、ということを知らない人の姿にも見えます。

ダライ・ラマの意識のありようは、あたたかく誠実で、わたしの中にいまだ眠っている大いなる愛の大地を耕してくれるかのようでした。

大きめに印刷された文字は、読みやすく、やさしい印象を与えてくれますが、だからこそ大切なことがじんわりとやさしい音色を持って伝わってくるように感じました。

とりわけ「思いやり」について述べられた部分は、深く染み入りました。

思いやりとは何なのか。思いやりの意味を正しく知ることが大事です。

仏教では、「自分と同じく、他者にだって幸せを求め、苦しみを克服する権利がある」とはっきり理解し、納得することが土台となって、ほんものの思いやり、つまり慈悲が生まれるとされます。

この土台があるからこそ、相手が自分にどんな態度をとろうとも、その相手の幸福を思いやることができるのです。それが慈悲というものです。

友人への愛情や思いやりは、実は執着であることが多いものです。友人への想いの土台にあるものは、「私のもの」「私の友人」「私に有利なもの」という気持ち、つまり執着であって、「すべての生きものは等しく幸せを求めている。誰でも幸福を手に入れ、苦しみを克服する権利がある」という理解ではありません。

(ダライ・ラマ ハートフルメッセージ より抜粋)

ほんものの思いやりとは、慈悲であること。

わたしたちが、愛情や思いやりと思っているものは、実は執着であることが多い、というのは耳の痛いところです。文中の「友人」のところは、いろんな言葉に置き換えて応用できますね。

五戒の「人に親切に」というのは、まさしく、慈悲につながる心のありようを指し示しているんじゃないでしょうか。

ダライ・ラマ ハートフル・メッセージ 

ぜひとも、お手にとってご覧くださいね。

ひとつひとつの言葉をかみしめるようにして丁寧に読み進めると、そのエネルギーを感じ味わうことができるでしょう。

字も大きく、余白も多いですので、詩集を読む感じでお楽しみいただけると思いますよ。

 

 

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