母の目覚めとレイキ
★ 突然の目覚め
それは、9月16日のことでした。
電話の向こう。
嬉々とした母の声。
「ものすごいこと体験しちゃった。なぜだかわけもなく喜びが満ち溢れてくるのよ!」
そして、興奮気味にその経緯をわたしに話してくれました。
なんでも、太極拳のクラスの先生が、しばらくクラスに参加しない母を気にかけて電話をしてきてくれた時、受話器の向こうの先生の声を聴いているうちに、なぜだかわからないけれど、胸の奥から喜びが湧いてきて仕方がなかった。というのがそのきっかけらしいのです。
うれしかった!!!
母に訪れた、この、最初の目覚めを心から祝福しました。
「よかったね。おめでとう!!!自分への最高の誕生日プレゼントだね。」
そう、この2日後の9月18日には、母はちょうど70の誕生日を迎えるのでした。
★ 母とレイキ
実は、昨年末から、母にも大きな転機がありました。父の入院(内視鏡で食道がんの摘出手術をしました)をきっかけに、父へのレイキを始めたのです。「自分にも手を当てるといいよ」とあんなに何度も伝えても、自分の体には手をあてることを継続できなかった母が!
毎日1時間。わたしが、父に手当てをして教えたポイントをかかさずレイキをした結果、父の術後の経過も良好で、半年ほどたったころにはもともとあった肺の持病も改善されました。(レントゲンでは、曇っていた写真が、相当きれいになってしまったそうで、お医者様が困惑しているとのことでした。詳しくは、こちらをどうぞ!)
そして、この10月には、大きな手術のため入院した自身の妹のために上京し、数日間病院に通いレイキをしました。わたしも、可能な限り、出向いて叔母(つまり、母の妹)にはレイキをしていましたが、母のいる数日間はすっかりお任せしていました。
昨年の11月から父へのレイキで鍛えた母の手が、今度は、自身の妹のために役にたつなんて!!!
なんと心憎い宇宙の演出、そして、はからいでしょうか!!!
★ よろこびの体験
目覚めの体験を機に、たしかに母は変わりました。
表情に柔らかさが増し、まなざしも一段まろやかに。声のはりも増し、溌剌とした明るさもアップしましたね。
そして、訳もなく湧き上がる「喜び」についてとうとうと語るのです。
そうそう!目覚めた直後というものは、そんなもの。そして、その喜びを分かち合いたくて仕方がないのです。
わたしも、そうだったように!!!
こういう時、喜びを分かち合える相手がいることは本当に心の支えになるのです。わたし自身の「目覚め」の時は、分かち合う相手もおらず、自分に何が起こっているかもわからなかったので、ずいぶんと足踏みしてしまいましたが(笑)。
その時の孤独を思うと、こうして、母の喜びを心から分かち合えることが、自分のことのようにうれしいのです。そうして、ともに在るということが、どれほどその「目覚め」にとって助けになるか、ということを身を以て知っているのですから。
★ それがレイキというものだよ
この時の母の上京中、こんなことがありました。
窓辺のダイニングテーブルで、お気に入りの簡単ランチをふるまった後、わたしが洗い物をしていると、歯を磨き終えた母が、ふいに言いました。
「これも、あなたが、通ってきてくれたからだよ。だから、わたしも変われたんだよ。」
(実は、昨年秋から、父の病気をきっかけにして、月に1回程度、帰省して数日間、父と母にレイキをしていくということをしていました。父の経過は良好だったのですが、母の精神的なフォローが必要だということも感じていたので、いまだにそれを続けていたのです。)
「うん、それがレイキというものだよ。」
というわたしの一言で、「そうか、エネルギーってそういうことか・・・」と、また何か、母の腑に落ちたようでした。
★ だからレイキを伝えている!
こういう展開は、実は、まったく予想だにしていませんでした。
父の入院という事態、そして、母の精神的な負担(それは、主に父との関係性における母自身の在り方に関するものです。)を考えたとき、わたしにできることは、ただ、傍らに行き、レイキをすることしかなかったのです。
どんな事態であろうとも、今できることを淡々とする。
大変な時こそ、ポジティブな姿勢をつらぬくこと。
ただレイキとともに、それだけのことをわたしはしただけです。
そして、こんな風にレイキとともにあることで、ある日突然、思いがけない幸運がわたしに微笑みかけてくれたりもする訳です。
そう、だからわたしはレイキを伝えている!!!
まさに、” Beauty of Reiki” というわけですね(笑)。