岡本太郎「自分の中に毒を持て」より「レイキだなー!」とうなった三つの点

首都圏では未だ自粛が続いております中、みなさんどんな風にして日々をお過ごしですか?

普段より本を読んでいる、という方も多いかもしれませんね。わたしも、久しぶりに心に刺さる本に出会いました。

自分の中に毒を持て<新装版> (青春文庫)

「芸術は爆発だ」で有名な岡本太郎氏のエッセイです。この中から、わたしが「レイキだな~~!!!」としびれた箇所を三つご紹介させていただきますね。

その前に、懐かしい動画のご紹介です。

子供の頃、テレビでよく見かけたのを覚えています。今見ても新鮮で面白いですよね。白いピアノに現れる太郎の絵とピアノの音。そして太郎のセリフと。美しいしとてもインパクトがありますね。

1.「爆発」の秘密

エッセイの中でその「爆発の秘密」が明かされています。

私の言う「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。

無条件にパーっと開いたらエネルギーいっぱい入ってきそうですよね。

わたしにとってレイキとは瞬間瞬間宇宙にむかって心を開いていくことだと常々思っているので、とても親近感がわいた部分です。

太郎氏の「パーっと」という表現は、心と体が勢いをもってふわーっと広がっていく実感があるしパワフルでとてもいいですね。

2.いのちの共感

次は、フランス帰りの太郎氏が戦争で出兵した際のエピソードからです。

軍隊生活で、ホフク全身という銃を地面に着けないようにして捧げたまま地を這って前に進む辛い訓練中でのことでした。

息もたえだえで地面に這いつくばったとき、ぼくは目の前に小さな花がゆれているのを見た。雑草の中に、ほとんど隠れるようにして、ほんとうに小さい、地味な、赤っぽい花だった。
そいつと鼻をつきあわせて、ぼくは、いのちがしぼりあげられるような感動にふるえた。
だがなんという美しさなのだ。小さい、その全身を誇らかに、可憐に、なまめかしくひらいて、はてもなく青いこの空の下に咲いている。
(中略)
人間だから、花だから、と区別することはない。いのちの共感は一体だ。

レイキの手当で、「ヒビキを感知する」という技法がありますが、これこそ共感力の賜物です。

いのちといのちがそっぽを向いて知らん顔をしているのではなく、一体となって響きあっているから感じる事ができるんですね。

あたなもわたしも区別はない。人も動物も植物も区別はない。一体なんだ、という認識は共感力を高めます。結果として、ヒビキを始めとした手当に必要な感じる力が磨かれていきます。

わたしの体験で言えば、レイキをならったばかりの頃、自分や人を中心としていろいろな対象にレイキをしていく中で、人も動物も植物や昆虫も「みな同じエネルギーで生かされているんだなぁ」という実感を持てたことが、命はひとつなんだなという認識に至るきっかけになりました。

今では、レイキの手当のコツといえば一体感といってもいいくらい大切な感覚だと思っています。

3.神聖な火

子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚を持っていた。それは誰にも冒させることのできない、絶対的な存在感なのだ。

この部分!!!

これは、自分と源(=宇宙)との確固たる繋がりを明確に感じ取っていたということですよね。

レイキでは「通り道になる」ということがよく言われます。しかし同時に、その源はまたわたしたちの内にもあるという理解も同じくらい大切なのです。

実は、そうした視点をレイキの実践とともに会得していく道のりに意味があります。だからレイキのステップは1~3まであるんですね。すべてをはじめから自信をもって実感できる人は、レイキを習わなくてもいいと思います、笑!

「胸の奥」「神聖な火」「絶対的な存在感」とういうキーワードは、内なる源を感じ取るヒントになるのではないでしょうか。

ちなみに、わたし自身は「胸の奥で燃える透明な魂の輝き」と、「胸の奥にある一点から湧き上がる無限の泉」のふたつのイメージがあります。

★ お役に立ちましたか?

以上、「自分の中に毒を持て」から、わたしの独断と偏見で、「ううんっ!レイキだな~!!!」とうなったところをご紹介させていただきました。

お役に立てましたでしょうか?

みなさんのレイキ観に響いたり、新たな問や疑問が湧きおこるようでしたらとても嬉しいです。

ぜひ「自分の中に毒を持て」の全文もお楽しみください。太郎氏が煮えたぎるパッションで「瞬間瞬間を生きろ!」と発破をかけてくれますよ(笑)。

 

 

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