ヒビキの感度について

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ヒビキの感度の違い

レイキをはじめて、ヒビキが分かるようになるというのが、まずは最初の通過点と言えるでしょう。

ヒビキへの感度は、手当の体験の積み重ねによって磨かれていくものですが、その習得期間(自信をもって手当てができるようになるというレベルのヒビキの感受力)には相当の個人差があります。

風の城のレイキ講座では、ヒビキをとる練習をしますが、その際は、おおきく以下の三つのタイプに分かれます。

<タイプ1> ピリピリや熱感などについて、控えめに「そんな気がする」という感想を持つ
<タイプ2> すぐにいろいろなヒビキが分かる
<タイプ3> まったくヒビキを感じない

一見、タイプ2が一番有利に見えますが、実はそうでもないのです。

気への敏感な感受性を先天的に持っていたとしても、手当の体験を積み重ねなければそれ以上磨かれることはありません。

ヒビキというものは始めたばかりのレベルで感じられるものと、数えきれないほどの手当の体験を積み重ねてはじめてわかってくるレベルのヒビキには大きな違いがあります。実際の施術においては、初期の段階で簡単にわかる程度のヒビキよりも、経験を重ねてわかっていくヒビキの感度の方がよっぽど役に立つのです。

だからレイキにおいてもっとも歓迎されるべき資質というのは、飽くことなく手当をしていくことができるという才能、あるいは手当をせざるを得ない状況に置かれている、ということでしょう。

逆に言えば、「感じる」という才能は、誰もが持って生まれてきた才能なので、はじめはわからなかったり、その認識がささやかであっても、そこに意識を向けて使えば使うほど、(レイキにおいては、とにかく手当ての実践をつみかさねていくという意味ですね。)開かれ磨かれていきます。

しかし、その差はどこから来るのでしょうか?

おそらく多くの人が、レイキをはじめて最初に抱く疑問。「どうして自分はヒビキがわからないのだろうか?」あるいは、「どうして、後からはじめたあの人はあんなにヒビキがわかるのだろうか?」という素朴な心の声に、少し向き合ってみたいと思います。

感度を決める三つの要素

第一にいえることは、それがひとりひとりの違い。個性の差ということにつきるのでしょう。つまり、生まれ持った資質の違いですね。

それは、幼いころ、自転車に乗るのがはじめから上手な人と、補助輪なしにひとりで上手に乗れるようになるのに時間がかかる人がいることとよく似ているでしょう。

あるいは、赤ちゃんが言葉を習得しはじめる時期や、歩き始めるタイミングにも相当の個人差があることとも似ていますね。

つぎに言えるのは、感性の鈍化という現代人の資質でしょう。

もはやきれいとはいえない空気、あふれる情報から身を守るために、わたしたち現代人は、感覚を鈍化させることで今の環境に適応してきている部分があります。敏感すぎては、息苦しくて表を歩けないでしょうし、保存性の向上、便利の追及、大量生産や安価を達成するために開発された農薬や化学物質が投与された食品を口にすることはできないでしょう。つまり、感性の鈍化とは、ある意味自分をまもる術でもある訳です。

つまり、この現代社会にしっかり対応して自分をがっしりプロテクトしているほど、感受性を回復させるには少々時間がかかると言えるかもしれません。

それに、特に日本をはじめとした先進諸国と言われている国々では、ボタンひとつで快適な環境や便利な状況を創り出してくれる文明の利器のおかげで、わたしたちは自分で感じたり考えたり工夫したりする機会が格段に少なくなっていますから、そうした環境の中、敷かれたレールの上をただ無意識に歩いているだけでは、「感じる」力はさらに鈍化の一途をたどるでしょう。それは、意識という目を閉じたまま、つまり眠ったままこの人生を歩んでいるようなものです。

レイキを始めるということは、この鈍化とは逆向きの力を発動させる機会でもある訳です。

そしてもうひとつ、自分自身への信頼と気づきの力

ヒビキを感じる力は、言い換えれば、自分の感受性を信頼する力。そこをつきつめていくと、最終的には自分自身への信頼へと行きつきます。

時々拝見して残念に思うのは、ささやかでもちゃんとヒビキを感じているのに、その自分の感覚を信頼することができずに、なかったことにしてしまうという態度です。

感じるという力は、非常に直感的なものなので、一番最初に来た感覚を疑ってしまうと、その次が続きません。疑いの上には疑いしか構築されていかないのです。しかし、最初に来たどんなささやかな感覚でも、「これは!?」とその感覚に真摯に耳を傾けていくと、信頼が信頼を呼び、自分の感覚に対する自信が増していくのです。

これは、ヒビキに関してのみならず、日々の自分自身の在り方や、これまでの生き方に由来するものなので、すぐに変えられるものではありませんが、まず、自分の感覚を「信じてみよう」という初めの一歩を踏み出すことが肝要ですね。

そこには、正しいも誤りもなく、ただ、自分が感じたことがあるだけです。人とは違っても、また、事前の「ヒビキとはこういうものだ」というイメージや思い込みとは違っても、自分が感じたことに気が付き、それを信頼する力。それは、ヒビキを感知するということだけにかかわらず、人生においても大切なことですね。

以上、これまでわたしが風の城でみなさんとヒビキを一緒に感知する体験をしてきて、ヒビキを上手に感知していく人とそうでない人との違いをわたしの体験からつづってみました。まとめると、以下の三つに分類されますね。

  • 生まれ持った気への感受性
  • 現代社会への適応としての感受性の鈍化
  • 自分自身への信頼と「気づき」の力

わたし個人の見解としては、ヒビキの感度の差は、この三つの要素がからみあって決まっていくのだろうと推察しています。

しかし、このバランスは、日々のレイキの実践で少しずつ変わっていきます。レイキのエネルギーに触れるということ自体で心身のリラックスとともに気の流れが改善されて、気への感受性が開発されていきますし、現代社会への適応として現れている感性の鈍化にも歯止めがかかるでしょう。また、自分自身への信頼ということも、レイキの肯定的な世界観に触れ続けることで変化していくでしょう。

現代社会への適応としての感性の鈍化については、各個人が持つ潜在的な欲求や、その人の意識の緊張度(言い換えれば、安心と信頼の欠如)によってもさまざまですので(それが病気や生き難さということにつながっている場合もあるでしょう)、自分1人の手に負えない場合は、アチューメントを含めたレイキ講座、およびその後の自分の実践だけにとどまらず、レイキの施術をある程度の期間頻繁に受けるという方法も突破口になるでしょう。

ヒビキはわからなくてもいい!

hibikiもしも、いま、ご自分のヒビキへの感度の自信が持てない、あるいは、ヒビキが分からない、という心地の悪さに捕らわれてしまっている場合。

まずは、そんなご自分を受け入れてあげましょう。

ヒビキのことは少し脇に置いておいて、その他にもあるレイキの魅力に目を向けるようにしましょう。

レイキをするとやっぱり効果があるなとか、レイキをするとよく眠れるな、とか、レイキをしている時のこの心地よさが好きだな、などなど。

あなたは、レイキの魅力についてどれだけ数えることができますか?

わからない事をいやだいやだと思っていると、そうした現実をより強固にしてしまうものが人間というものです。

あることを数えればしあわせな気持ちになれるのに、不足を数えれば不幸せになるのと同じ構図ですね。

実際のところ、レイキにとってもっとも大切なのは、自己レイキでも、他者へのレイキでも、レイキをしていることによる心地よさに、時を忘れるほどに身をゆだねることができる、というような感覚です。

ヒビキという技を求めるあまりに、もっとも大切なレイキの感覚を忘れないようにしましょう。

もっとも大切な資質

そして、最終的に求められるのは、レイキ(手当て)が好きであるということ。

レイキなら、時間を気にせずどんどん手を当てることができてしまうというようなレイキに対する純粋な興味が持続することも、ヒビキへの感度を上げていく大切な要素ですね。

だから、もし、今の段階で、自分のヒビキへの感度に自信が持てなくても、レイキが好きだな、レイキって心地よいな、やっぱりレイキって効果があるな、などレイキに魅力を感じてるようでしたら それを大事にしていただくのが吉ですね。

苦手でもいい!

でも、この逆もまたいいと思うのです。

ヒビキってよくわからない。はっきり言って苦手だけれど、でもなんか気になるから続けたい。そんな気持ちがあるのなら、ぜひともこの道をあきらめないでほしいと思うのです。

実は、わたしの個人的な趣味であるライアーハープが、これです。

もともと音楽には相当の苦手意識があったのですが、ある時ライアーという楽器をみてかわいいな、やってみたいな、という気持ちが沸き起こり思い切ってはじめました。

苦手分野ですから、はじめから自分が素敵だなぁと感じる先生を探して教えを乞いました。

その挑戦は今でも続いていますが、苦手意識があるだけに、その道のりはいまだ遅々として進んでいるようには見えません。でも、苦手だからこそ、ほんの少しでも進歩が感じられたらうれしいし、今まで知らなかった音楽の世界が少しずつでも自分なりに見えてくる瞬間は、「つづけてきてよかった!」と心底思います。

そして、いつの日か、レイキと同じように心からの信頼と安らぎをもって、その音を、みなさんに楽しんでもらえるようになれたら素敵だな、なんて密かに思っています。

だから苦手でもいいんです。なぜか、レイキが気になる、あきらめたくない、と思ったら、とにかく続けてみてください。そして、レイキの交流会や練習会を上手に使ってください。

もちろん、風の城のドアを叩いていただけるのもうれしいですね。わたしがライアーを先生に習うように、レイキが苦手なあなたのお役に立てるのなら本望です。

どちらにしても、このその道をあきらめないでいてほしいと思うのです。

最後に、風の城でレイキを学ばれている方が、先日のこかげの会の後にくださったメールの一部をご紹介させていただきますね。

ヒビキがわからない時の気持ちが具体的に表現されていて、レイキを教える側としてとても心に響きました。わたしの視点からでは気が付かないことがたくさんあるんだなぁと、大切なことを教えていただきました。

きっと、レイキの習得に悩まれている多くの皆様の心にも響くのではないでしょうか?

この方は、はじめからヒビキへの感受性が開けていましたが、レイキを実践していく中で、あんなに鮮明に感受できていたヒビキがわからなくなってしまったり、人のヒビキはわかるのに、自分のヒビキがわからないという経過も乗り越えつつ、好きなレイキをご自分のペースで実践されていく中で、風の城のさまざまなメニューを活用してくださっています。

かおるさん、こんばんは。
こちらこそ昨日はお世話様でした。

○○さんのお話を聞くまでは、自分にもそんな時期(補足:レイキを始めた直後ほど、ヒビキを鮮明に感じられなくなった時期)があったということをスッカリ忘れてました(笑)。

今、改めてその頃を思い返してみると…最初の新鮮さが薄れてきてヒビキが感じられない状態ってすごく焦ったし、つまらなかったなぁと思っていましたね(笑)。

今ヒビキを感じられなくても焦らずに手を当てられるのはホント、かおるさんとたくさんお話して、たくさんレッスンしたからだと思っています。

ポイントはお話とレッスンの両方が必要だったということ。何故なのか…?

ヒビキが感じられなかった停滞期って「ヒビキはどうですか?」の質問がなかなか痛かったりします(笑)。

で、前はあんなに感じられたのに今は感じられないっていう現実を受け入れるのが悔しいんです。だから質問に対して正直に「ヒビキ分かりません。何も感じられません。」って答えるのが嫌なんですよ〜(笑)。

でもかおるさんやこかげの会でご一緒した方々とたくさんお話をして、直接レイキの話ではないところからヒントを受け取ったり、もちろんレイキの話の中からも気づきを得ることが出来ました。

レイキを学んだ方に何度も手を当てさせて頂いて感想をもらうことで「自分がヒビキを感じられなくても、確実に流れている!」という自信がついてきました。それからはヒビキばかりにフォーカスすることもなくなり、気づいたらヒビキを感じられない日でも笑って手を当てられるようになってました\(^o^)/

(以下、略)

<30代女性Aさま>

Aさん、ありがとうございます!!!

「ヒビキを感じられない自分を笑って受け入れる」という境地。これもまた、ひとつの悟りですね。

今回の記事には盛り込むことができませんでしたが、次回は、「ヒビキの感度があがる瞬間」、についても、まとめられるといいな、と思っています。

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