「心の奥底」と「体のことば」

大切なのは心の在りよう

レイキでは9割方エネルギーが行ってくれますが、残りの1割は自分の力です。

その1割の自分の力ってなんだと思いますか?

それは心の在りようです。

レイキをする、その心を慈しみ育んでいくこと。

それが、残りの1割の質を高め、わたしたちのレイキを深く豊かにしてくれます。

手の当て方、ヒビキの感知力などの技術も「自分の力」に含まれるのですが、もっとも大切なのはその技術をささえる、「心の在りよう」です。

その心の在りようの深まりが、ヒビキなどの感知力を高めることに欠かせないからです。

だからこそ、臼井先生も五戒として心の在りようを伝えていますね。

五戒の奥深さについては、また別の機会にお話しさせていただくとして、今日は、手当に大切な心についてひとつだけお届けします。

 

心の奥底に触れる

自粛期間中、引き出しの中を整理していたら、小さく折りたたまれた古い新聞の1ページが出てきました。

人間関係に悩む読者からの相談に対して、僧侶でアナウンサーの回答者が「心の奥底(悲しみ)」を受け止める事が大切ですよ、と説かれているのを読んだ時、まさに手当の心に通じることだと深く感銘を受けて、いつか記事にしようと残しておいたものでした。

人が何かを話すとき、そこには、本当に伝えたい思い、くみとってほしい本音があるかもしれません。人生に悩んでいたり、うまくいかない事を相手が口にする時には、特にこの傾向があります。

ところが、自分が忙しくしていたり、自分の言いたいことばかりで頭がいっぱいだと、相手のそうした「本音」を察知することができず、浅はかなコミュニケーションになってしまいます。

相手には、聞いてもらえなかった、分かってもらえなかったという残念な氣持ちや悲しみだけが残ります。

みなさんにも、そんな経験があるんじゃないでしょうか?

わたしにも、もちろんあります。逆の立場で、良かれとおもって解決策を提案してしまったり、よけいな事をいってしまった事、数えきれずであります。

 

レイキの手当が教えてくれたこと

しかし、手当の経験を積み重ねてきたことで一つ理解できたことがあります。

それはどんな氣持ちであれ、「そうなんだね。」と、まずは、ただありのままに受け止めることが、寄り添うことの第一歩なのだという学びです。

それは、レイキで手当をすることが、黙って相手の話を聴くのととてもよく似ていると氣づいたからです。

 

「体のことば」を聴く

レイキでは、必要がない限り黙ってお相手の体に触れさせていただきます。

心静かに、お相手の今に寄り添い、レイキが必要な場所を探して手を当てていきます。

触れる手の平を通じて感じられるヒビキの変化、氣の状態の変化など心静かに耳を澄ませていきます。

それは、まるで、「体のことば」を聴いているようです。

そんな事を想った時から、どうしたら体のことばがより雄弁になるだろうかと、わたしは自分の在りようについて深く考えるようになりました。

そんな折、「心の奥底」を受け止めることが大事、という記事に触れ、とても合点がいきました。

体は、わたしたちの無限の「今」が積み重なって出来上がってきたものです。

日々、どんな気持ちで、どんな考え方で、どんなイメージをもってこの世界を生きているのか。その積み重ねが、自分の体を作っているのです。

伝えられなかった思い、消化されていない悲しみ、思い通りにならないことへの怒りなど、その人が抱えているものが体に記憶されていきます。

強く深いヒビキほど、長年のその人の生きづらさや悲しみが隠されているものです。

そこに手を当てて実際に触れていくというのは、まさに心の奥底に触れていくことなのです。

実は、見つけた新聞記事は、2年ほど前のものでした。

結果的に、こうして言葉にするには2年の時間を要しました。

こういうことって、説教臭くなりがちなので(笑)、言葉にすることがむずかしいのです

ちょうどよいタイミングで、新聞記事が出てきてくれたのかもしれませんね。

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