Archive for 2023年9月21日

光る声~場を支配する~

車の運転や、エアコンの表示で外氣温が30度を切るのを見ることも出てきましたね。

30度もあれば十分暑いはずですが、それ以上の暑さを体験しているがゆえに、この位だと楽だと感じてしまう。

人という感覚の面白さですね。

【目次】
レイキに戦々恐々の母
母がレイキを痛がる理由
光る声~場を支配する~

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レイキに戦々恐々の母

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今や、父が週に4日は介護保険サービスを利用して家を空けることができるようになり、母がひとりになれる時間ができました。

4日のうち2日は丸一日父を預かってもらうことができ、昼ごはんを食べてお風呂にも入ってくるので、母の負担が相当に減りました。

とはいえ、父は80歳、母は79歳。

足腰の弱い母が、買い物から、掃除、洗濯、料理、家計など、すべてのことをひとりで行うことは本当に大変なこと。

自分と、心も体も幼稚園児のような父と、ふたり暮らしの心細さも母を不安にします。

快不快にとても敏感で、ちょっとしたことで氣持ちが不安定になりやすくエネルギーの消耗が激しい母にとって、ひとりになれること、睡眠をよくとることが何よりの薬です。

そんな母にレイキをし続けてもう、どのくらいだろう。

わたしがレイキを習った直後から、会うたびに練習と称して手当をさせてもらっていたので、母にはわたしのレイキ歴と同じだけレイキをし続けていることになります。

初めは、レイキをすると身をよじらせて痛がって、「レイキなんて体が痛くなるもの」という認識だった母ですが、ここ最近は、やっとレイキで眠れるようになりました。

今回の滞在でも、母にレイキをしていると、いつしか深い寝息をたて、わたしがレイキを終えて寝室からでていこうとしても一向に目を覚まさない様子には、感慨深いものがありました。

そんな母と、昔話をすると必ず言われることは、「あんたが夜、また部屋に来て、レイキされるのかなぁ、と戦々恐々だったよ。」と。(昔はよく川崎のわたしの自宅にも遊びに来てくれたものです。)

初めて聞かされた時は、申し訳ないやら、恥ずかしいやら、苦笑いするしかありませんでした。

今では笑い話ですが、娘のやりたいことの為に必死で我慢してレイキを受け続けてくれていた母心を思うと、言葉がないですね。

ただ、胸が熱くなるばかりです。

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母がレイキを痛がる理由

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レイキを始めた当時は、わたしも経験がなく、なぜ母がレイキを受けるとそこまで痛がるのかが分かりませんでした

母のようにレイキをされるだけですごく痛がる人というのは、そんなにいるものではないからです。

今の理解では、母の敏感な感受性もその一因ではありますが、母の体がそれだけ悪かったんだということです。それもレイキをしてみないと表面には浮かんでこないような深い氣の歪みです。

この手のものは、ちょっやそっとのレイキでは良くなりません。長い時間をかけて、すこしずつそれを紐解いてきたんですね。

それだけ心身の緊張が強く、母はレイキがもっとも苦手とするタイプだったかもしれません。

今では、母もレイキを自分で使うことがあるのですが、これがまた面白いので、また別の機会にでも(^_-)-☆

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光る声~場を支配する~

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まるで違う世界観で生きる両親と過ごす実家でのひとときは、いつでもわたしに新しい目を開かせてくれます。

ちょっと面白い瞬間がありましたので書き留めました。

どうぞ最後までお楽しみくださいね。

両親の喧嘩は日常茶飯事。

大きな声で互いを責め立てる。

きっかけは、ささいなこと。

何かしら母の氣にいらない、というイライラから始まり、それが父に反射して、それまた母に反射して、と。

あっという間にボリュームを増していく。

子供の頃からお馴染みの光景。

いまや、日常のほとんどの場面で精神が小さな子供並みに退行してしまっている父に、母は容赦ない。

この日の朝も、わたしが2階で帰り支度をしつつ、洗濯物を取り込んでいると、そんな二人のやりとりが耳に。

これから、父を歯医者に連れていくため家を出るという間際、玄関先で決裂し、怒りの言葉を互いに投げつけている。

2階から降りてきたわたしは、こう着状態のふたりを見てカラリとひと声。

「だぁれも悪くないよ。」

母は瞬時に表情を和ませ、小声で「ごめんね。」とわたしに小さく舌をだし車のエンジンをかけに去っていった。

取り憑かれていたように固まっていた父も、瞬時に氣持ちが解除されたようで、ゆっくりと靴を履き始めた。

思いがけない場面の転換に驚いたけれど、笑。

腹の底から通る声が、瞬時に場を支配するのを見たように思いました。

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自分の一番弱いところに

9月に入り、さすがに朝晩はほんのりと涼しさを感じることも出てきましたね。

とはいえ、昔の今頃に比べれば全然暑いのですが(汗)。

みなさんの調子はいかがでしょうか?

わたしはと言えば、主人の遅い夏休みに合わせた帰省を終え、箱根への避暑というご褒美タイムを満喫して、一息ついているところです。

ふだんの生活とは違う非日常からいただいた感動と氣づきの数々・・・。

ゆっくりと消化吸収しております。

目次

  • 両親へのレイキ
  • 自分の一番弱いところに

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両親へのレイキ

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実家に滞在する目的の一つは、父の介護と家事を一手に引き受ける母を手助けすることですが、同じ位大事なのが両親にレイキをすることです。

初日はふたりともヒビキが凄くて!!!

特に、父は腹部から股関節周り全体が冷えていて足先も冷たくなっていました。

初日は、レイキをしてもしてもほとんど温まらず。三日目位になってようやく、ジンジンと温まるようになり、足先まで温かみを感じられるようになりました。

すでに両脚とも人工股関節であることを考えれば、そのあたりが冷えやすいことは容易に想像できますが、実際にそうであることを目の当たりにして、継続してケアをしてあげたいと思いました。

母の方は、リクエストに応じて今痛めている部分2か所を重点的にレイキしました。三日目には、左臀部のものすごく冷たかった筋が温まって熱感とともにリラックス(治癒)反応があり安堵しました。

わたしが帰る日には、はつらつとしてとても元氣そうな母の姿がありました。

これは、母自身の努力の賜物でもありますが、月に数日はわたしが帰省してレイキをするという長年の積み重ねの結果でもあるのでしょう。

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自分の一番弱いところに

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「父と母とわたし」

最後は、この滞在でのわたしたち三人の日常のひとこまから、ささやかなエピソードをひとつ。

「自分の一番弱いところに触れるような氣持ちで、お父さんには優しくしてあげてね。」  

日々、父の手助けをしながら、なかなかそうはなれないこともある葛藤を抱えつつも懸命に生きる母に、そんな言葉をかけました。  

母は少しの戸惑いとともに、わたしの方を見ることはなく、ただ前を向いていました。

否定でも肯定でもないその空氣感に、これまでとは少し違う母の心を見たように思いました。

このところ、大人が話すような早い言葉のペースでは意思の疎通が難しくなってきている父です。

小さな子供に語りかけるように、短い言葉でゆっくりと優しく話す。

父に対してそう在ることは、まるで自分の一番弱いところに触れているようだと思いました。

うまくできないとすぐ怒ったり、ご飯はみんなを待てずに先に食べてしまったり。

あんなに大好きだったお風呂にもゆったりと浸かることができずに、すぐに出てきてしまいます。

集中力がなくて、味わうということができないんですね。

ご飯を食べるのもすっかり早くなり、まるで犬の食事のようです。

それでも、まだこれから夕食の準備をするという段階なのに、キッチンで母やわたしが何か始めると、食事だと思って、家族分の箸だけ握って早々と、まだ何も並べられていない食卓について待っていたりする父を見ると、本当に小さな子供みたいでかわいいなぁ、と切なくなります。

母にとっては、なかなかうけいれがたいことのようですが、笑。

そんな父の、子供に戻っていくような純朴さを愛しいと思えると、母の氣持ちも楽になるんじゃないかな、と思いつつ。

わたしにできることをして、二人を眺めています。

喧嘩をしながらも、父の世話を献身的にする母の姿は尊く美しいです。

人はだれかの為に身を捧げるとき、美しさを増すのだな。

母を見ているとそう教えられます。

冒頭の写真は、母が育てている八重のペチュニアです。

 

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