レイキ的に生きる

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おかげさまで、ここ、風の城の窓辺には、今日もさわやかな風が訪れてくれていています。

こんな日は、わけもなくしあわせな気分に満たされて、我が内の心の海も、嬉々として波立っております^^。

先日の、レイキ交流会風のつどいでは、レイキという言葉を知って以来、 自己流で始めてみたら、どんどんエネルギーを感じるという方がいらしてくださいました。

「無免許運転で、裏街道をとろとろ走っていたのが、表舞台のサーキットに出てぶいぶい飛ばした感じ」

はじめてこうした集いに参加して、みんなでレイキをしあった体験をこんな風に表現されていましたよ。

笑、笑、笑!!!

うまいですよね。

風の城での初体験を大いに楽しんでくださったようで何よりでした^^。

レイキというもの。
人にそなわった自然のしくみなので、気が付けばだれでも使うことができます。

ただ、現代人はそういう感覚に随分疎くなっているので、気づいていないだけなのです。

ということは、やっぱり、自力で気づく人もいる訳ですね。
そして、そういう分野の感覚が生まれつき発達している方もいらっしゃいます。

いいですね~。
うらやましいですね~。

でも大丈夫。そうでない人も安心してください。わたしも、さして敏感だったわけでもないですが、それでも続けていくことで少しずつレイキ(エネルギー)の理解が深まっていきました。「学ぶ」とは、その「道」に入る、ということなのですね。

わたしは、もう何年もレイキをしていますが、未だ面白くてやめられません。

しかし、何かをわかりたい、知りたいと思って手当てをしたことは一度もなく、一度手を当ててしまえば、その世界にただただ身をゆだねるだけです。そんな日々の中、小さなものから大きなものまで、ときどき起こるひらめきや気づきがわたしにレイキの世界を教えてくれました。

そんな体験から、レイキとは単なる療法にとどまらず、その神髄は、レイキ的な心の使い方を会得することにあると思っています。

レイキ的に生きる。
レイキ的に在る。

ということに置いて、おそらく、生きている限り学びの終わりはないわけですね。
だから、飽きないし、面白い。

そして、エネルギーの世界は、「人と明確なる比較ができない」というのがものすごくいいのです。 人と比べても本当に意味がないし、 比べたところで、そこにはいつでも、自分の心の在りようが投影されるだけなのです。
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手当の質にも、そんな心の在りようが投影されます。

よきレイキ使いになりたいと思うのなら、自分の心の在りようをまず観察することですね^^。
そのコツと面白さに一度はまると、もう、楽しくてやめられませんよ。

次回の風のつどいは、6/27(土)開催です。 みなさまのお申込み、お待ちいたしております!!!

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