Archive for 本

今日という日

今日という日は不思議です。 いろんな人に出会うようにしくまれていたような・・・。

ゆく先々で、今日というこの日を祝福していただきました。

時には、照れ臭くって、一瞬、自分が小さな子供に舞い戻ってしまったような錯覚を覚えたほどでした。

でも、これが、またいい感じだった!!!

そしてそして。

今日というこの日に、どうしても欲しいと思っていたアナスタシアの最新刊。(冒頭のリンクは第一巻です。)

発売日は今日ということだったけれど、流通経路がスムーズでなさそうな予感。a5

昨日、とある書店に確認してみると、入荷に10日から14日ほどかかるとのこと。

やむなく、予約をしておいたら、なんと、今日、「入荷しました~」との連絡が。

いやはや、なんともミラクルなシンクロでした。

おかげさまで、今日は、アナスタシアの最新刊とともに帰宅することができました。

ちなみにアナスタシアの最新刊はこんな感じ。

今年の誕生日は不思議で。

自分の意識の切り替わり、そして、ひとつの学びとしての卒業など、いろんな意味があったせいか、とても感慨深い気持ちでこの日を迎えました。

昨日の夜には、明日には母親のお腹を出る・・・という生まれる直前の自分をイメージして感じてみたり。

なんともことばにし難いのだけれど、わたしというちいさな命(魂)の好奇心にみちた躍動は、なかなかたのもしいものでした。

そして、今朝ほどは。

自分が生まれる時、いったいどんな音楽が一番合うだろう、と手元にあるCDの中からピンと来るものを選んで流してみたり・・・。

これまたビンゴな感じで、自分でも笑ってしまったのですが。

これほど、自分が生まれる、という日を積極的に感じてみたのも初めてでしたが、とてもおもしろい体験でした。

生まれてくる、ということのすばらしさ。

産んでいただく、ということのありがたさ。

しみじみ感じました。

この世界への通り道となってくれた母には、もう感謝しかありません。

今日という日。

この世に生をうけることのできた感謝を、ただひたすらに感じていたら、逆にいろいろな方からお祝いをしていただきました。

みなさま、本当にありがとうございました。

巡り合えましたご縁に、心から感謝申し上げます。

ヤナの森の生活

素敵な本を見つけました。

心の赴くままに。
魂の指し示すままに。

旅を続けたその人は、ハワイ島という心の大地にたどり着きました。

今でこそ、果物が実りゆたかな恵みをもたらしてくれる土地となりましたが、その人が住みはじめた当初は、「土」からつくらなければならないほど、なにもない土地でした。

今。その人は、自分たちがはぐくみ育てた土地で、生きたいように生き、暮らしたいように暮らしています。

日々の暮らしを知恵と手で創りだしているのです。

自然にかえるということが、果たして、ここまで必要なのかはわかりません。

けれど、小さなジャングルの中で、大地にタープを張っただけの簡素な住まいに、必要なもの、愛しい人やものに囲まれて暮らす光景からは、お金では決して変えない豊かさを感じます。

一見、ゆたかな物にめぐまれて、お金でなんでも買えるように見える世界に住んでいるわたしたちには、難しいと思うようなことも、平易な言葉でつづられています。

その人が、経験して身に着けたことだからこそ、その言葉にはパワーがあります。けれど、決して押しつけがましくなく、心に、自然に溶け込んできます。

「自分の深みにある思いを大切にしていくことから、その人らしさが生まれてきます。」

「それは選択です。」

「魔法を信じています。」

「心配するのをやめて、どんな世界にくらしたいのかを、想像してください。イメージしたものを創造してください。」

(「ヤナの森の生活」より抜粋)

世間体や常識、文化や国、生まれ育った地域の風習、疑うことなく続けている習慣など。悪いものではないけれど、そうしたものにとらわれてしまうと、自分の本音がわからなくなってしまいます。

自分にとって大切なことってなんだろう・・・。

そんな問を自分に向け始めると、案外必要なものはわずかで、自分の大切なものは、他の人たちにとっても大切だと思えるような本質的なものであることに気が付きます。

そうしたら、あとは簡単。

そうしたものに想いを向けて、日々過ごすこと。

自分がぶれるたび(人とは揺らぐものですからぶれてもいいのです!)、 「大切なものは?」と問いかけるのです。

そうした選択の積み重ねが、望む自分を創ります。

「魔法」とは、人智を超えた宇宙の叡智をさすのだと思います。

自分が心底したいこと、望むこと。

それがはっきりしていれば、あとは、自然に道が示されます。

ぼんやりしているだけじゃ決して「魔法」はおきません。

目覚めて、しっかりと自分を生きる事。

「魔法」が発動される最初のカギです。

この本に触発され、わたしも何年ぶりでしょうか・・・。マドレーヌなんぞつくり始めました。

いま、生地を寝かせている間にこの記事を書いています。

風の城のお客様のお茶菓子にお出ししていたこともあったなつかしいレシピです。

心地の良い音楽をかけて、いい気分に浸り、ひとつひとつの動作に心をこめてつくりました。

そんな風につくったものはとてもおいしいのですよ。

今から、焼き上がりが楽しみです。

秋の夜長に。

子供が絵本をめくるように、読書を楽しんでみませんか?

新しい時代を生きたい大人の絵本です。(絵本じゃないけどね、笑!)

 

共同の創造

shirotume
共同の創造。
といってもアナスタシアのことじゃありません(笑)。

時々、お客様とのメールのやりとりの中で、 びびび!っと来たものをHPでご紹介させていただいています。

言葉で表現するということは、なかなかどうしてエネルギーがいるもの。

そしてまた、得手、不得手、ということもありますから、 折に触れ、こうして、ご自身の体験を具体的につづってくださるのは、とてもうれしく、ありがたいものです。

講座後のアンケートの中からも、ご紹介させていただくことはありますが、 なにげなくいただいたメールの中に、 ご自身のレイキ体験をつづってくださっているのを拝見するのはまた格別です。

これからレイキを学ぼうとする方々や、
風の城に行ってみたいなぁ、と思ってくださっている方々、
レイキへの興味が再燃している方々、などなど。

レイキっておもしろそうだな・・・。
レイキの体験にはこんなことがあるんだ。
じゃぁ、自分がレイキを始めたらどんな風なんだろう!

と、ご興味を持っていただけそうなものを選んでお届けしています。

最近、更新したものがありますので、よろしければこちらのコーナーをぜひご覧ください。

まさに、「共同の創造!」
みなさまと一緒にひとつの世界を創りあげる感じがうれしくて、記事を作成している時も、とてもしあわせな気持ちでいっぱいになるのです。

ご掲載をご快諾いただいたみなさま、本当にありがとうございます!

これからも、びびび!と来た時にはお声をかけさせていただきます。

次は、あなた、かもしれませんよ(笑)。


そうそう、本家の「共同の創造」はこちら(↑)です。

アナスタシアの最新刊ですが、わたしは、冒頭の世界の創造の部分がとても気に入っています。
わたし自身にとって、とても有用な魂の神話を得た想いです。

エネルギーの理解にもとても役立ちましたね。
どうして、「愛」だけがすべてを包括することができるのか、 感覚的にものすごく腑に落ちた、シリーズの中でもお気に入りの一冊です。

不思議ですね。
事実かどうだかはまったく定かではないのだし、
アナスタシアという人(それも実在の有無は!?)のフィルターを通したいち情報にすぎないことも承知しているのですが、 アナスタシアのことばは、ビシバシ!魂に響きます。

おちおち眠っていられないという感じ。
寝ぼけている魂にとっては、強烈な目覚まし時計です(笑)。
(はい、たたき起こされた人です、笑、笑、笑!!!)

あ・・・。一句できました。
アナスタシア 君のことばは いのちの矢 突かれし魂 目を覚ます

失礼いたしましたーーー^^;。

 

木を植えましょう

行きつけのカフェでした。

詩集や、旅の本、うつくしい写真集、インテリアの本、 自然を大切にした暮らしに関するもの、などなど。

そこにはオーナーさんの趣味によるちょっとしたブックコーナーがあります。

そのコーナーのテーブルに無造作に置かれていた一冊が、この、木を植えましょう―Sustainability & spirituality でした。

一面の深緑。
その中に、小さく描かれた青空と緑の木。

その小さな四角い世界が、光の小窓のように輝いて見えました。(その絵が、 葉祥明さんによるものだと知ったのは、この本を読み進めてからでした。)

ひきよせられるようにしてこの本を手に取って、 中をぱらぱらとめくると・・・。

一目で腑に落ちる解説用のイラスト、ビビっと来る言葉のはしばし。

ほんの少し垣間見ただけで、これはわたしにとって とても意味のある本だと予感しました。

そして、触れている両手からは、花々から感じるようなとても繊細で軽やかな質のエネルギーを感じました。

予期せぬ出会いに、この本を手に嬉々として、一緒にいた相棒に語らうわたしの様子に、

「いいでしょ?その本!」
「わたしもそれを読んで少し変わったんです」

お水をふたつ運んできてくれたお店のオーナーさんが、うれしそうに囁いてくれました。

なんでも、ご子息のお嫁さんを通じてこの本に出会ったとのことで、 すでに、友人知人にも何冊か配ったんですよ、と教えてくださいました。

もうこのカフェには最低でも月に一度。何年もかよっていてすっかり顔なじみなのですが、 類は友をよぶ、とはよく言ったもの。

やっぱり、趣味趣向を同じくするものは引き寄せられるものなんですね(笑)。

木を植えると、50年たって森になるというのではない。木が植えられた瞬間森になる。 小さくても森である。それは、人間の赤ちゃんがどんなに小さくても、人間であるのと同じことだ。 そして子供の存在が子供のままで希望であり救いであるように、新しい森は幼いままに森であり希望 であり救いであった。(「木を植えましょう」より)

この本には、ぜひとも共有させていただきたいすばらしい個所がたくさんあるのですが、著者が実際に自分たちの手ではげ山に木を植えるという体験をつづられたくだりには、思わず、声をあげて泣いてしまいました。

それは、破壊され行くこの地球の自然環境に心を痛めつつも、 わたし自身もまた、それを破壊しつくしてきた文明の一員であり、 その文明の営みの中でわたしは生かされてもいるという事実。

そうしたことに気が付きながら、具体的にはなんの行動もおこしていなかったわたしの想い、というよりは、多くの人たちの心の底ではきっと波打っているあろう 真実の想いが、わたしのそれと重なりあって同時に噴出したようでもありました。

それは、とてもとてもあたたかく、心の底から安らぎを覚えるような エネルギーの噴出でした。

だからなのか・・・。

その噴出を自らの体を通して感じている間、そんなに長い間ではなかったけれど、 妙にほっとするというか、癒されていくのを感じました。

木を植えることには歓びがある。
あんなに大きな歓びをもたらすものを、ぼくはほかに知らない。
瞑想すれば心は安心するけれども、とくにうれしいと感じるわけではない。
畑で働くのは心地よいけれども、ことさらうれしいとは思わない。だけど木を植えるのはうれしい。歓びにみちている。
あんなふうに参加者全員が大きな歓びにつつまれるのを、それまでぼくは他に見たことがなかった。(「木を植えましょう」より)

力が悪いのではない。それを捨てなければならない訳でもない。
ただ、ぼくたちの力に見合うだけのより高い精神性にめざめ、倫理観をそなえなければならないのだ。(「木を植えましょう」より)

わたしは、「愛」への目覚めを体験したのを機に、レイキに出会いました。そして、レイキに親しむうちに、緑(森)と仲良くなりました。その次にわたしを導いたのは花でした。その繊細なささやきを感じ取れるようになってたどりついたのが、この、「木を植えましょう」でした。

花鳥を愛で、森を敬う心。あたらしい文明は、そんな心から生まれます。

どうぞ、ぜひとも、この本を手にとって読んでみてください。
新品でこの本を購入すると、その収益は、すべて森を育てるために使われます。
一冊買うと、苗木を一本植えることができるそうです。

 

神様が書いた4つの詩

久々に書店に足を踏み入れました。

特段、欲しい本、興味のある分野があったわけではありません。

食事の帰り道、ふと目にとまったその書店の入り口。

なんとはなしに引き寄せられていきました。

店内をそぞろ歩くことしばし。

ひとつのコーナーに目が留まりました。

神様が書いた4つの詩 」

特設の棚がしつらえられ、美しく展示されていました。

濃紺に、星々が輝くようなイラストの美しさ。
表紙を開くと、深みのあるえんじ色の輝きが心をとらえます。

濃紺とえんじ色。そのコントラストが、深く心に染みました。

中には、作者のはっきりしない4つの詩が、これまた想像力をかきたてるイラストとともに紹介されています。

詩集というよりも、心ある大人に向けた、上質な絵本といった方が良いかもしれません。

こういった類の本は、元来好きではありますが、素敵だなぁと思ってもなかなか購入には至らないのがわたしの常です。

決め手は、一目見た時の吸引力。

そして、この本が生まれ行くストーリーにも深く共感しました。

もちろん、どの詩もうつくしく心に響くものです。

あぁ、生きてきてよかったなぁ・・・。

と、人であることのゆたかさを、改めて実感させてくれるような魅力があります。

「さんばんめの詩」として紹介されている「手紙~愛する子どもたちへ~」。

今のわたしには、これがなんとも切なく・・・。

ふと、手に取り、この詩を眺めると、目頭が熱くなってしまいます。

この本は、ヒーリングルームに置いておきますので、お茶をお入れしている間など、ちょっとした待ち時間に、ぜひお手に取って眺めてみてくださいね。

 

荘子 ヒア・ナウ~これが、タオさ。~

このところ、舞台を観る機会に恵まれています。
昔は、演劇、というものにそれほど興味がなかったのですが、人という存在の面白さ、パワーに目覚めてからは、舞台でさまざまな感情を表現する人を見るのが好きになりました。

 
九日間の女王

堀北真希さん演じる、女王ジェーン。

ささいな仕草にも人間性がじみ出るような楚々とした演技に、心惹かれました。

外堀をうめられ、心ならずも即位を受託してしまったジェーンの嘆きは痛いほどでしたが、 もう、そういう時代ではない。

どんな状況にあっても、自分の意思で「選択」することの重みを忘れたくない。
「心ある選択」のゆたかさを享受していこう。

 

嘆きではなく、笑いを!!!

 

改めて宇宙に明言いたしました(笑)。

 

宇宙は、たえず、わたしたちにメッセージを送ってくれています。

そのメッセージの受け取り方というのも、人それぞれ。

こういう体験談を聞かせていただくのは大好きです!

そこで、最近のわたしの体験をひとつ。

 

先週のことでしたか。

太極拳のクラスに向かうのに、朝、わたしは、いい気分で駅に向かっていました。

こういう時は、いろんなインスピレーションが浮かぶものです。

 

ふと、頭の中に「詩」という漢字が浮かびました。

詩心とか、詩人とか・・・。

自分の中にあるそういう要素をもっと大事にしてあげるといいのかもしれない・・・。

などと、妄想してひとりわくわく(笑)。

 

わたしにとって、ことばは、閃きでもあり、気づきでもあり、言霊でもあり、魔法でもあり、 そして、癒しでもあります。

 

すてきな気分のまま、教室に入ると、先に到着していたレッスン仲間が、いそいそとわたしに歩み寄り

 

おはよう!

ねぇ、とてもすてきな 詩集 をみつけたのよ!!!

と、おっしゃるではありませんか(笑)。

 

 

その名も、荘子 ヒア・ナウ
自分の閃きとのシンクロに興味をもったわたしは、帰宅後、即座にアマゾンで購入しました。

その時、決め手となったのは、レビューにあったこの本からの抜粋。

著書が荘子ヒア・ナウについて述べた部分に引用したリン・ユータンという人の言葉でした。

 

老子の笑いは乾いた低い声だが、荘子はしばしば噴きあがる勢いの笑いになる。

 

実は、わたくし。

腹の底から、わははは と高らかに笑い声を上げるのが特徴でありまして(笑)。

 

2400年前、とてつもない男がいた。
奇妙なおもしろい話を、数知れぬほど語った。
どれもタオについての話だった。
笑うことこそ、あの大きなタオに触れるいちばんいい方法だ。
彼の笑う声も、いまの私たちに、きっと聞こえるはずだ。
(荘子ヒア・ナウ 序文より)

 

挿絵には著書が手掛ける墨彩画が楽しめます。
これが、また、いいんです。
いのちというものの勢い、自然の雄大さが感じられます。
同じ方の著書で、「老子」を自由な口語詩にした、タオ ヒア・ナウ も、おもしろそうです!

 

最後に、荘子ヒア・ナウの「すべてのものは、ひとつ」という詩の一部をご紹介させていただきますね。

 

右とか左とか、善とか悪とか、
そういう区別があったとしても、そのふたつは、やがては一緒になる。
そして溶け合う。
すべてのものは、いつか、ひとつになる。
本当に見える人は、
「すべてはひとつ」という原理をよく見つめた人なんだよ。
その人には区別なんかしても役に立たない。
いつも、区別を超えた場所にいるんだ。
そして、区別を超えていて、いつも変わらないということは、
生きる上でとても大切なんだ。
それは、本当の自分の性質にかえる、ということだよ。
自分の本当の性質の中にいるとき、人は幸福なんだ。
幸福に至ったとき、まあ、完全に生きているといえる。
これが、タオさ。

 

« Older Entries Recent Entries »